東京・横浜グルメ散歩日記

~東京・横浜のグルメ散策ブログ~

クリスマス旅行④ 沖縄県【2泊3日】1日目 沖縄県糸満市 沖縄県営平和祈念公園 沖縄戦の悲惨さを現代に伝える ~命どぅ宝(ぬち・どぅ・たから)~

第二次世界大戦で、日本本土内で最も激戦地となった沖縄戦

その戦争で命を失ったすべての人々の御霊を慰め、そして戦争という悲惨な歴史を未来の子供たちに伝えてゆくために沖縄戦終焉の地になった糸満市摩文仁(まぶに)に平和祈念公園が静かに広がります。

「祈念」という言葉には、平和が永久に続くようにという深い祈りが込められています。

平和祈念公園の正式名称は、沖縄県平和祈念公園

沖縄戦終焉の地となった沖縄本島南部の糸満市摩文仁(まぶに)にあります。

約40ヘクタールの広大な公園内には、国立沖縄戦没者墓苑や各都道府県の慰霊塔・碑があり、戦没者への慰霊を捧げるとともに、平和の礎・平和祈念堂・平和祈念資料館などを通じて平和の尊さを体感する場所です。

園内には、国立沖縄戦没者墓苑・平和の礎(いしじ)・黎明之塔、日本各県出身地別の慰霊・平和祈念施設、式典会場や駐車場などの付属施設もあります。

公園に隣接して沖縄平和祈念資料館・沖縄平和祈念堂があります。

 

沖縄旅行1日目は、平和祈念公園に行きました。

 

沖縄県営平和祈念公園(指定管理者ホームページ)

 

園内が広すぎて、よく分からないなぁと夫と話していました。

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100円で、園内を案内してくれるバスが!!

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100円で平和公園内のバスがあり、ガイドしてくれました。

これに乗ると、いろいろと園内の様子が分かります。

外人さんたちが多かったなぁ。日本人も行くべきだと私は思います。

教育内容にもっと愛国心を持たせるようにしてほしい。

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パンフレットを頂きました。

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白色の塔は、悲惨な戦争は二度と繰り返すまいと悲痛な願いを込めて、平和の尊さと戦没者追悼の象徴として1978年に開堂したという、平和祈念堂です。

堂は正七面体角錐型をしています。

これは七つの海と合掌の形を表しているそうで、人種や国家、思想や宗教などの壁を乗り超えて世界平和を訴える壮大なモニュメントとなっています。

沖縄出身の画家、山田真山が原型制作に18年、完成までに22年の歳月をかけて完成した高さ12mの沖縄平和祈念像が安置されいて、胎内には、平和の礎刻銘者名簿が納められているみたいです。

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大人の入館料は、450円です。時間的な都合で私達は、入れませんでした。

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そして沖縄平和祈念堂に向かい合って建つのが「平和の丘」に作られた半リング形の「モニュメント」、「平和の丘 モニュメント」です。

沖縄では、沖縄戦終結した日とされる6月23日を「慰霊の日」と制定されており、この日に行われる「沖縄全戦没者慰霊祭」は、このモニュメント前で行われます。

地下にはガマ(洞窟)をイメージした空間があり、太陽の光が差すようになってます。

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当時、住民たちが逃げ込んだ洞窟「ガマ」を地下部分に「再現」し、地下の奥まったところで天井部分が開け、「平和の光」(自然光)が差し込む構造になっているみたいです。

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命どぅ宝(ぬち・どぅ・たから)

ぬち=命;生命は何よりも大切なもの、命こそが尊い一番大事な宝である。命を粗末にするな。という意味です。

「命さえあれば、生きてさえいれば、前に進める。」
「命さえあれば、どんな希望でも見えてくる。」
「命さえあれば、それだけで、幸せ。」

沖縄では、太平洋戦争での沖縄戦(1945年・昭和20年)において、日米軍人及び民間人を合わせた地上戦で、戦没者約20万人と言われています。そのうち、沖縄県民の犠牲者が約15万人(当時の沖縄人口が約57万)であり、県民の4人に1人が犠牲となったことになります。米軍攻撃だけではなく、集団自決、日本軍の住民殺害、マラリヤによる病死などによる悲惨な歴史があるからこそ、「死んでしまってはおしまい」「生きてこそ世のため、人のためにもなる」、命の重みが、『命どぅ宝』に託されているといえます。

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全学徒隊の碑

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まだ子供といえる年齢の子達。未来ある子達。

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ここから真っすぐ進みます。

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 平和の礎(いしじ)とは、沖縄平和祈念公園の一画にある沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を、国籍や軍人、民間人の区別なく、刻んだ記念碑の事を言います。

これは沖縄戦終結50年である1995年に建てられた石碑です。

f:id:ayayacha:20190105164205j:plain「平和の礎」は、「鉄の暴風の波濤が平和の波となってわだつみ(海神)に折り返して行く」というコンセプトで、海に面した平和の広場を中心とし放射線状に配置されています。

f:id:ayayacha:20190105164405j:plainその数は24万名以上におよび、ずらっと並んだ刻名碑を間近でみると圧巻です。
建前上は「全員の名前」とされていますが、強制連行され死亡した朝鮮人慰安婦などの名前は遺族からの反発によって石碑への刻名を拒否されたそうです。

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「平和の礎」検索コーナーがあります。

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沖縄戦を中心とした15年戦争に関する主な出来事

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摩文仁の丘から海を望む「平和の広場」の中央には「平和の火」が灯されています。

この「平和の火」は沖縄戦において最初に米軍が上陸したとされる阿嘉島において採取した火と、被爆地である広島市の「平和の灯」、そして同じく被爆地の長崎市の「誓いの火」から分火された火を合火して1991年から灯し続けた火を1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移して灯したものだそうです。

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平和の礎のすぐ横は断崖になっていて青い海が見渡せます。
この海に飛び込んで亡くなっていった人たちもたくさんいるそうです。

戦時下はこの海に軍艦が並び、陸地に向かって砲弾が撃ち込まれたそうです。

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沖縄県平和祈念資料館平和祈念公園内)電話/098‐997‐3844

開館時間/9時~17時(常設展示室への入室は16時30分まで)

休館日/12月29日~1月3日

観覧料/300円(小人150円)

ここでチケットを購入します。

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常設展示(有料:2階・常設展示室)
沖縄戦に至る歴史などを展示した第1室「沖縄戦への道」、沖縄戦を映像・実物で展示した第2室「鉄の暴風」、住民の惨劇を地下(ガマ)と地上(死の彷徨)で展示した第3室「地獄の戦場」、沖縄戦体験者の証言・映像を展示した第4室「証言」、27年間の米軍統治、本土復帰、平和を求める沖縄を展示した第5室「太平洋の要石」から構成されています。

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「平和祈念資料館」のガイドブックには「第二次世界大戦で貴い命を失ったすべての人々に哀悼の意を表すとともに、悲惨な戦争の教訓を後世に伝え、世界の恒久平和
実現に寄与するために建てられた」と書かれています。
ここには沖縄戦に関連する軍関係の文書や個人所蔵の文書、そしてひめゆり学徒の手記なども収蔵・展示されていて、とても厳かな気持ちになる神聖な場所でした。

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