ハワイ3日目は、パール・ハーバーへ!
私は、日本でベルトラで申し込みをしました。
VELTRA(ベルトラ)で掲載されていた内容です。
真珠湾観光 公認ガイドが徹底解説! まるごとプラン(アリゾナ記念館・太平洋航空博物館・戦艦ミズーリ)
金額:125$×2
日本円:29,256円
Pick-Up Time:06:15
Pick-Up Location:アロヒラニ・リゾート・ワイキキ・ビーチ (Alohilani Resort Waikiki Beach) - 正面玄関(Front Entrance)
所要時間(送迎含む): 6 ~ 7.5時間
参加前、参加時必要事項
- 軍事基地内に入場するために、保安上の問題から手荷物の持込が禁止となっています。ポケットに入る程度の大きさを越えるバッグ、バックパック、ポーチなどを持参なさらず、手ぶらの状態でご参加ください。また、送迎の車でそのまま基地内に入場するため、車内に置いておくこともできませんのでご注意ください。
※杖のご利用は可能です。 - カメラは持ち込めますが、一部撮影が禁止されている箇所もありますので、詳しくは当日ガイドがご案内いたします。
※カメラは、ケースやバッグに入れての持ち込みは出来かねます。ケース等は外してお持ちください。 - 荷物持込は禁止されておりますので、お持ちになった場合、ご返金なしで参加をお断りする場合があります。
おすすめ(服装・持ち物)
- お水(持ち込み可能です)
- 多少のお金
- サングラス
- 動きやすい服装
- 日焼止め
- 歩きやすい靴(運動靴・スニーカー等)
- 帽子
まだ時差ボケなおってませんが、翌日も朝4時半とかに起きて用意します。
朝6時15分にアロヒラニ・リゾート・ワイキキ・ビーチ (Alohilani Resort Waikiki Beach) - 正面玄関(Front Entrance)にお迎えが来ました。
手荷物は、ポケットに入るくらいの手ぶらの方が多かったです。
バック等は、ホテルに置いてきて下さいね。
この日は、渋滞もなく、さくさく真珠湾に到着しました。
車中で、戦争のお話が添乗員の方からありました。
何も見ないで、話せるのってすごいですね。
朝7時10分には、到着していたような。
いつもは、渋滞があったりするみたいです。
今日は、天気も悪いせいか行列もそこまでではないみたいです。
USS Arizona Memorial (USSアリゾナ記念館)は、1941年12月7日、日本連合艦隊の真珠湾奇襲攻撃で海底へ沈んだ、戦艦アリゾナ号の上に建てられた記念館です。
その下には今でもアリゾナ号を見ることができます。
私達が行った時は、アリゾナ記念館に欠陥があって工事中で上陸できず、そのまわりをボートでクルクルまわるだけでした。次回に行く時は、上陸したいです。
まずビジターセンターで映画を見た後、シャトルボートで記念館へ行きます。
7時45分にシャトルボートに乗車します。
ここでは、だいたい75分くらいの見学時間があるみたいです。
ボーフィン潜水艦は第二次世界大戦と朝鮮戦争時に就役したアメリカ海軍の潜水艦です。
「パールハーバーの復讐者」と呼ばれ、学童疎開船「対馬丸」を始めとして多くの日本艦船を撃沈した「潜水艦ボーフィン号」。
「ボーフィン」 (bowfin) とは、北米大陸東部に生息する肉食魚の名前から取ったものです。獰猛な魚で、小魚やエビなど、なんでも捕食します。
潜水艦の方のボーフィンは、バラオ級と呼ばれる米潜水艦の一隻で、真珠湾攻撃からちょうど1年の1942(昭和17)年12月7日に進水。
太平洋戦争を通じ日本艦船44隻を撃沈し、「パールハーバーの復讐者」(Pearl Harbor Avenger) と呼ばれました。撃沈された44隻のうち、軍の艦船は4隻であり、残りの40隻は民間船(徴用されていたものも含む)でした。
1944年8月22日、乗員・乗客1,476名の死者を出した学童疎開船「対馬丸」を撃沈したのがこのボーフィンです。
今回のツアー料金には、含まれていませんでしたが、艦内の中では魚雷を見たり、兵士たちのベッドやダイニングなど見ることができます。エンジンルームなどもそのまま残されていて見学することができるみたいです。
虹が出ました!!
潜水艦の様子
中も入れます。
ここから覗いてみます。
中は、狭かったです。
日本の特攻魚雷、回天です。
回天の説明書きです。
「一人乗りの日本の自殺魚雷 1944年に初使用」
全体像です。
反対側はカットモデルになっていて、操縦席が見える様になっています。
まだ未来ある少年のような顔をした子達が、どんな思いで、ここに座ったのでしょうか。きっと志願したわけでもなく。本当に切ない気持ちになります。
どんな思いで。と思うと、切なくて、切なくて、泣けてきます。
他にも、いろいろと。
ミサイル
こちらは米軍のMARK14魚雷。ボーフィンでも使用されていました。
ミサイルよね。
そろそろボート乗り場に行きます。その前に、映画を見ます。
ボートに乗る前にセンター内の劇場で必ずドキュメンタリー映画を観なければなりません。
上映時間は約20分。
内容はハワイを一瞬にして地獄へ変え、戦艦アリゾナを撃沈させた「日本の卑劣な残虐行為」的なノンフィクション系ムービーです。
映画が終わるとそのままほとんど全員がシャトルボートに乗り込みます。
人数が決まっているので、ボートはほぼ満席になります。
海軍フェリーでアリゾナ記念館に移動します。海に沈んだアリゾナ号からは今も重油が流れ出しています。
しかし、今回は上陸できないので、まわりをグルグルとクルーズするだけです。
現役の軍事船
上陸は出来ないので、近くをグルグルします。
この建物の下に、戦艦アリゾナが沈没時の姿で眠っています。
二つ合わせて十字架をイメージして作られている。
アリゾナが十字架の縦の長い部分、記念館が横の短い部分。
戦艦アリゾナは1941年12月7日に命を失った乗組員1177名のうち1102名が死亡し撃沈された船員たちが最後を遂げた場所であり、永遠の休息地でもあります。
次にハワイに来る機会があったら上陸したいです。
クルーズが終わり、降ります。
降りて、慌ててアリゾナ博物館へ。
時間がないので、マッハで見なくては。
ゼロ戦を艦載していた日本の空母「赤城」の大型模型
真珠湾奇襲を行った第一航空艦隊旗艦の空母。
真珠湾奇襲時の搭載機数は、常用66機、補用25機。
奇襲成功を意味する日本軍の暗号電文「トラトラトラ」。
トラトラトラは、太平洋戦争の始まりである日本軍の真珠湾攻撃が奇襲により開始されることを伝えた電信の暗号略号。
低空飛行をする飛行機を見たハワイの人々は、演習だと思いました。
7:55に攻撃が始まると、アメリカの警報はすぐに「ハワイで空襲、これは演習ではない!」を送信。第二波攻撃隊は一時間後に来襲し、9:55までに奇襲は終わりました。
真珠湾海底より引き揚げられた愛甲魚雷
ゆったりと腰に手を当てたノーネクタイのマッカーサー、モーニング姿で直立不動の昭和天皇が映し出されている写真です。
天皇は「日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟があります。しかしながら、罪なき8000万の国民が住むに家なく着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように。」とおっしゃったと言われています。
マッカーサは、「私は大きい感動にゆすぶられた。この勇気に満ちた態度に、私の骨の髄までもゆり動かされた。私はその瞬間、私の眼前にいる天皇が、個人の資格においても日本における最高の紳士である、と思った。」と感銘を受けたことを後に言っているみたいです。
当時、ソ連やアメリカ本国は「天皇を処刑すべきだ」と主張していたが、昭和天皇の態度に感動したマッカーサーは、これらの意見を退けて、自ら天皇助命の先頭に立った。
また当時、深刻な食糧不足に悩まされた日本に対してアメリカ本国に何度も掛け合い食糧物資を支援させることに成功し日本の危機を救っている。
後に戦争について語ることがあった昭和天皇だがマッカーサーとの会談のみ「マッカーサー司令官と、はっきり、これはどこにも言わないと約束を交わしたことですから。男子の一言の如きは、守らなければならない」と生涯語ることはなかった。
入り口に航空魚雷を抱く九七式艦上攻撃機の模型が天井に吊るされています。
真珠湾攻撃をアメリカで展示しているのに、結構フェアな展示の仕方をしてるねと夫と話をしました。
待ち合わせ場所に集合して、次は、戦艦ミズーリへ!!